昭和48年6月8日 
第40号
真理の信仰(一)感謝

 現代の日本に欠けているものは何かというと、「真理の信仰」だと言えます。「真理の信仰」とはどういうことかと云うと、大国様の大御心に感謝申上げ、大国様の大御心があまねく この世の中に実現していくことを願って、日々、それぞれの立場立場から努力させていただく「生活」のことです。
 まず、第一に感謝申上げねばならないことは、この世の中に「生」を授けていただき、生かされていることです。人間だれしも、一たんこの世の中に「生」を授けていただいたからには 死にたくないと思うのはやまやまです。しかし、たとえ百才までも生きたいと思っている人にも、死は心臓マヒだとか、脳溢血だとか、あるいは交通事故だとか云った形で突然やってこないとも限りません。
 こうみてくると、「死」の問題は人間にいくら生きたいという願望や意志があってもどうすることもできない問題だと言うことができます。言いかえれば、「死」という形で「生」に 終止符をおうちになるのは神様なのです。今、自分が「生きている」と云うことをこのように考えてみると、自分を生かしておいて下さっている神様の大きな、ありがたいおぼしめしによって 「生かされている」のだと言うことがよくわかると思います。
 このことは、自分がこの世の中に「生」を授かって生れてきたということについても言えます。だれでも自分の意志でこの世の中に生まれてきた人はありません。肉体を授かる前に、 形のない「この世の中に生まれ出たい」と云う意志や願望だけがあり、それが何らかの因縁で特定の両親とかかわりあいその両親から肉体を授かるなどと云ったおかしな話は聞いたことがありません。
 このように、この世の中に「生」を授かったということは、神様の大きな、ありがたいおぼしめしなのです。そして、このことが実感として、身にしみて感じられてくると、自然と神様に 感謝する気持ちが胸の中にわいてくるはずです。これがしっかり信仰をつかんだ人のまず感じることだと思います。
 そうして、しっかりと信仰をつかんだ人には「生かされている」ということ以外にも数々の幸せを神様は惜しげもなく下さります。物資面で言えば、生活全般にわたり何不自由なくなることは 言うまでもありません。それより、精神面では争うこともなく、愚痴ることもなく、そしることもなくなるはずですから、心がいつも平安になります。それらについてありがたいと神様に感謝せざるをえなくなるのは、 しっかりと信仰をつかんだ信仰者として理の当然です。


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