昭和47年12月8日 
第35号
大国様の御神徳について

 旧暦の十月は神無月と呼ばれています。これは十月に全国の神々が出雲に出向かれ、大国様のもとで来る一年間のことをいろいろに話し合われ、様々なことを取り決められるので、 日本全国津々浦々の神様が留守になるためこう呼ばれるわけです。ですから、出雲だけは十月のことを神有月と呼ぶことになっています。
 大国様はいわば、神々の統領、会社で言えば、社長のような地位を占め、役割をはたしているわけです。これは大国様の御神徳が他の神々のそれより遥かに抜きん出ていることによります。 このことは大国様がいくつものお名前で呼ばれていることからも推察されます。
 古事記では大国主神の別名として大穴牟遅(おほあなむぢ)神という呼び名が使われています。これは日本書紀では大己貴(おほなむぢ)神と書かれています。ここで言う「おほなもち」の 神とはどんな神のことを呼んだのでしょう。
 昔の日本語では、大名(だいみょう)、名主(なめし)などの「名」になごりが見られるように、土地のことを「な」と言っていました。ですから、「おほなもち」の神とは文字通り、 土地を多くもって治めている神という意味です。
 古事記にも著されている通り、大国様はたくさんの兄弟たちの迫害を逃れて、素戔嗚(すさのおう)尊の課す幾多の試練をくぐり抜け、やがて荒ぶれた神々を平らげて、国土の経営に 当られたわけですが、その際稲羽の白うさぎの話にみられるように、人々に医薬の術を施され、そこに住んでいる一人一人に暖かい心で接し、民生の安定、向上に努めて、 国を作り固められたわけです。
 古事記に記された日本の神話は日本に文学が伝わる以前、何台にも何台にもわたって、親から子へ、その子から子へと次々に語り継がれてきた古代人の事蹟です。語り継がれる間に 話しに文学味が神され、事蹟そのものが伝え記されたとは言えませんが、その骨子、本質に変わりありません。また、古事記や日本書紀は日本を統一した天皇家の政治権力が出来てから 著わされたということも含めて理解して下さい。
 こうしたことを考えに入れた上で古事記の大国様の話を読むと次のようなことが明らかとなってきます。日本がまだ、統一国家となる前、出雲の地方を根拠地として、諸氏族を統合して、 統一国家の基盤となるような政治統合体を作っていた人物がいたと考えられます。その人は民の暮らしの向上を計り、みなが平和に生活を楽しめるように、農地を開墾し灌漑、 治水事業を行い、農業生産の向上に、身をけずり、骨を砕いていたわけです。その人を自分たちの守護者として、神として崇めお祭りするようになったわけです。
 その人こそ、まさに古事記に表されている大国様というわけです。ですから、大国様は葦のたくさん生い茂った国土を平らげた雄々しい人いう意味をこめて葦原醜男(あしはらしこをの)神とも 呼ばれています。大国様、つまり大国主神という呼び名は元と言えば、広い領地を領治するようになった「おほなもち」という呼び名から起こっています。その意味で大地主(おおとこぬし)神と 呼ばれていますし、その呼称はやがて、国作之作(くにつくらしし)大神となってきます。そして、その国にそのお徳があまねくゆきわたり国の守護神となってからは大国魂(おほくにたま)神とも 呼ばれるようになってくるわけです。
 また、大国様は広い土地を領治して、非常にたくさんの物をもっていらしたことから、大物主(おおものぬし)神という別名も持っていらっしゃいます。荒ぶれた賊たちを 平定するときは、たいへん荒々しい武人として、活躍されたわけですが、そのようなことから、やがて武の神として、八千矛(やちほこ)神と呼ばれるようになってくるわけです。
 そして、終に古事記にも書かれているとおり、天皇家の祖にご自分の作り固めた国を譲られてからは、この世のこと、政治は一切天孫にお任せになり、ご自身はあの世のこと、 目に見えない霊会のことに専心されることになったわけです。ですから大国様は幽世(かくりょ)のことを司る神として、幽世大神となられたわけです。ここでいう幽世というのは、 私達がなにげなく使うあの世という言葉より、さらに意味が広く、神々のいらっしゃる世界、霊の世界ということです。大国様が神々の統領となっていらっしゃるゆえんはここにあるわけです。
 大国様が一面において、人格神としての性格をもっているのは、このように実在した人物のお徳が広大であり、あまねく人々にゆきわたり、やがて人々から崇め祭られるようになり、 遂に死んでからは神の位に入られたからであります。


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