昭和47年3月8日 
第28号
全託について

 私共の仰ぎ慕う大国様は、人格神でありますが、全国八百萬神の元の神すなわち大宇宙の神でいられます。
 その神に日々を感謝し、ざんげ申し上げている私共には何の不安もなく日々が心平らけく安らけくある筈ですのに、何で悩みや苦しみがあるのでしょう? 「何で心が乱れ、悲しみや不安が起きるのでしょう?」
「何で怒りがあり争いがあるのでしょう?」それは執着があるからです。ここで云う執着とは仏教の言葉で云う煩悩です。その煩悩が日常の生活の中での現象にのみとらわれていると 一喜一憂したり執念をもやしたりして、苦しみ、悲しみ、争いになってくるのだと思います。けれど肉体を持っている私共から煩悩を無くするという事は、不可能に近いほど 困難な事だと思います。只それが強い人、弱い人、多いか、少ないかという事になります。強い人は少しでも弱くしてゆく様に努力し、多い人は少しでも少なくしてゆく為に 努力してゆく事ですね。けれどその努力が又、その渦中にある時は、大変な「苦」になります。自分だけが耐えればという我慢になってなったり、気のすすまないのに 妥協してみたりしがちのものです。自分だけの「智慧」の中で判断して我慢しているという事には限界があります。そういう時こそ心の親神でいられる大国様がこの苦しみも 「すべてをおみとおしでいて下さる」「見守っていて下さる」自分は「理」として最善の努力をさせて頂こう、苦を果たさせて頂こう、そしてすべてを加味のおはからいにお任せ しようちう祈りになるのです。
 神のおはからいにお任せした時から心の平安は与えられます。又執着も弱まり煩悩も少なくなってきます。願望が叶えられたりすると、猶一層、平安になりますね。 けれど本当の全託という事は自分の願いどおりになろうが、又その反対に自分の望みとは逆になろうが、すべてをおはからいにお任せしたのですから、それも平安でいられる様に ならなければ本物ではないようです。すべてを「おみとおし」の神にお任せしたのですから、その現象が願望通りにならなくてもきっと大いなる摂理によって守っていて 下さるという信念のつみ重ねが煩悩を弱くする事になり苦しみ、不安のない生活、感謝の生活となって来るのだと思います。そういうことこそ真の幸福者であり、 神に愛される人間という事です。どうぞ日々、日々の生活の中で真の全託が出来、執着を少なくしてゆくことが出来るよう努力して下さい。


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