昭和46年5月28日 
第22号
人生の標語

 「お母さんは、大国様へお参りして来ると、二・三日はとてもやさしくて、話がわかっていいよ。」これは、主人と子供たちの言葉です。信仰深い皆様が聞かれると、さぞおかしいことでしょうが、 私はまだまだ完全におすがり出来ない人間なのでしょうか、お国様の、御元にお参りして、慈悲深い霊波を身体いっぱいにお受けしてまいりましても、すぐ切れてしまうのです。 いいえ、切れてしまうのではなく、自分自身で切ってしまうのでしょう。それが自分で解るようになったのはつい最近の事です。
私がつまらないことで、いえ自分としては真剣に悩んでいた時に、細矢先生にとつくりと、おさとしをいただき、大国様よりお導きをいただき、私の人生の標語ともなるべき お言葉をいただきました。
「我が我がの我を捨てて、お蔭お蔭の下を拾え。」これです。私は信仰に対していつも期待していたのは、御利やく信仰ではなく、人の道、人はどう生きなくてはいけないか、を説いて 下さる信仰です。こんなことを申し上げては生意気でしょうか。でも人は少なくとも、自分は間違っていない、自分はこれでいいのだ、と思い込んでいる人が多いのではないでしょうか。 私もその例にもれません。ですから間違いが解らないのです。反省が出来ないのです。百万分の一かも、いえ、もっと小さいかも知れませんが、大国様の御元に参り、細矢先生の お話しを聞かせていただいていますと、それがだんだんと、解るようになって来ました。
これからは、一日でも長く慈悲深い霊波を、私の身体から、心からはなすことのない様な生活をしていきたいと思っています。
何年かかろうと、一生でも努力する決心です。我の強い私は、囲りの人にも不快な思いをさせ、それ以上に自分が苦しんでいるのです。我のかたまりの様な私は、大国様のお助けを いただき、又、自分で努力して、その一角からだんだんとかしていくことは、これからの私の人生においての、最もおおきな目標となることでしょう。
最後に、五月八日の春の大祭も、雨上がりの快晴のうちに、盛大に行われましたことを、皆様と共に、およろこび申し上げます。


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