昭和45年10月8日 
第16号
調和と進歩

 万博で、よくいわれた言葉ですが、誰方が考えたのか、よい言葉です。
 信仰者の生活も、「調和と進歩」そのものだと思います。霊と肉で出来上がっている私たち人間は、霊と肉の調和のある生活、更にその生活を向上させてゆく生活でなければならないと思います。
 わかり易い言葉では、現実の環境の中で、両足をしっかり、ふんまえて、理想を生かし、向上していくことです。
 そのどちらにかたよっても、調和は破れます。調和が破れるということは、家庭の中でいえば、生活の中の、周囲の人との和がこわれることです。
 人間は、肉体があるのですから、衣食住を必要とします。然し、衣食住のためにのみ働いていたのでは、(霊)=生き甲斐がなくなってしまいます。
 又、自分の生き甲斐のために、理想に燃えて、突っ走り、衣食住のことは、周囲の人に迷惑をかけてよいというものでもありません。
 人間そのものが、霊と肉の混合されたものなのですから、理想と現実の調和を保った生活が、できてこそ、幸せといえるのではないのでしょうか。
 けれど、現在が幸せだからといって、安穏とあぐらをかいていてよいものでもないと、思います。
 現在の自分が、幸せなら、幸せであるだけ、他に愛を働きかけたくなる気になること、それは、神にむかって進歩していくことだと思います。
 常に、神がすべてをみていられよいように、おはからい下されて、生かされているのだという安心感「和」を喜ばれる神にむかって、感謝しつつ、調和を保って生活してゆき、更に神に近づく、前向きの、一歩一歩の積み重ねが、進歩であり、生活向上という現象になってあらわれるのだと、思います。
 家庭の中で、自分が幸せだと、思うことは、家族の者、一人一人が、同じように、幸せだと思ってくれ、祝福をうけてこそ、自分も真の幸せであり、逆に、家族の者の喜びは、自分の喜びになれる、調和ある生活こそ、真実です。
 それは、自己欺瞞とか、真実でないものに、妥協するとかいう、小さな限られた愛ではありません。
 許し合う、愛し合う、調和の生活の中に、自分自身の真実の芽は、伸びてゆくのだと思います。
 一人一人が、真実の芽を伸ばす努力が、進歩であると思います。
 調和と、進歩のある家庭の延長が、社会であり、国であります。
 多くの人々に、社会のために、役にたつ目的の、生産企業も、調和が破れれば、公害やら、社会悪が発生します。
 人間の進歩どころか、自滅行為です。之は、決して、神の御意思ではありません。理想と、現実、志にそう、前に進む、一日一日の積み重ねの生活こそ、神がお喜びになる生活、自分自身も、幸せな生活だと、信じております。


最新はこちらから


バックナンバー一覧に戻る



Copyright (C) 2000-2004 IzumoShinyuKyoukai Org. All Rights Reserved.