昭和45年6月8日 
第13号
みがきをかける

 無限大の神の御徳をいただいて、私達は日々の仕事に働けています。「私は、別に何のご加護もいただいていません。」という、びっくりするような、ごうまんな言葉を云う方がいます。
 そういう方は、お祭りして、毎日毎日手を併せていれば、すぐに目に見えた現象で与えられた物だけが、ご加護だと思っていらっしゃるのです。
 病気がなおったとか、財産がふえたとか、物を取得したとかがなければ、ご加護はなちお思っているのです。
 このような、ごうまんな心ではたとえ、物質が与えられても、その物質はやがて消えてしまいます。
 そして、又あらたに、次の不満、なやみごと、わづらわしいことが起きてきます。
 朝起きて、神に手を合わせて、心からの感謝を申し上げ、一日を働けることだけでも、大きなお徳の力です。
 それでは、手を合わせない人でも、信心のない人でも、同じだと反発してきます。
 その通りです。神は、すべての人間に、その分霊を分け与えています。ですから、信仰をしていようとなかろうと、大いなる愛をもって、その者を生かし、世のため人のために役立たせようとしていらっしゃいます。
 けれど、早く、己の分霊の親に気がついて、親を慕い、感謝してくれる子は、なおなおかわいい、ものです。
 真心で感謝し、苦を果たして慕いよる子の苦をとりのぞき、心の救いを、平安を与えて下さいます。
 すべての人間の悩み、苦しみは、己の心の波長から出ている現象です。
 祈りによって、神の霊波と、己の霊波を合わせ、神の子(分霊)のくもりや、影をとることです。神の霊波の中に、己の霊波を合わせる祈りということを、詳しく申しますと、心の曇りも影も、(即ち、現在おきている悩み事、苦しみ事、わづらわしき事の現象)すべて、神のおためしで、己の業消滅のため、けさせて頂くための現われだと感じてくる祈りです。
 そして、大国様の霊力によってその苦を袋に背負っていただくことです。
 それで、心の平安を得、次に輝き出すまでの真剣な日々の祈りが必要です。次にみがきです。
 「金剛石もみがかずば、玉の光はそわざらむ」という歌にも、あるように、分霊も「みがき」によって輝き出さねばなりません。
 金剛石は物質ですから、手工作業によって磨けますが、人間のみたまは、物質ではありませんから、外部からの作業によって、磨けるものではありません。己の努力です。
 みがきをかけるという事は、現実の生活の中で、「みたま」の輝きを現象に顕す事によって、磨かれます。
 感謝で起き、感謝で終るすべてを感謝に受け止めて、与えられたなりわいにやる気を起こし、家族との和を持ち、隣人との和をもち、苦を果たして、徳を積み上げ、すべてに、心をこめた動きをなす事、即ち、「みがき」です。
 真剣な祈りと、みがき(苦を果たす)の一日一日を積み上げてゆくことによって、心の平安、救いが現象にあらわれ消えてしまう事のない永遠のご加護を(生き甲斐と心のやすらぎ)いただけて、子孫が栄え、国が栄え、生きとし生ける者、限りなく、栄えていくのです。
 物質文明のみが、片輪的に、著しく発展してゆく昨今の時代は、心を放っておけば、物質によってすべてが、破壊されてしまう、世がきます。
 今こそ、一人でも多くの方が、己の分霊の働きに気づき、分霊の親との、目に見えぬ綱に、しっかりすがって、無限大の心の働きを、磨きかけて下さい。


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