昭和44年12月8日 
第7号


心=霊=気、即ち、眼に見えぬ形のないものでありながら、存在する。
この心は、眼に見えない、形のない、霊の根元である、神からの分霊であるということは、今までの勉強で、お分かりになっていることと思います。
今月は、その心を、更に細かく、分析してみたいと思います。
昔の人は簡単に、「良心」と「悪心」とか、「善玉」「悪玉」と分けてしまいましたが、そう簡単に割り切れないのが、人間の心です。
わかり易く申しますと、毎日、神の御心に副うような、いわゆる良心に恥じない言動をしている人が、不幸な目にあったり、病気になって苦しんだり、気の毒な生き方をしている人があります。
そうかと思うと、どうしても、悪玉としか思えない、利己的で、人を泣かせて、貪欲な人が、ますますよくなり、大変幸せそうな様子に見える人があります。
「この世に、神も仏も、あったもんじゃない」「正直者は、馬鹿を見る」と良心的に生活していることが、馬鹿馬鹿しくなったりしがちです。哲学者をして、「人生とは、矛盾の解決なり」だなどと、いわせています。
これは、心=霊というものの、実体がわかると、すぐ解明します。私達の心というものは、前述しました通り、神からの分霊でありますが併し、それだけではありません。その周囲に、過去世の業が、おおっており、その上更に、現在に至るまでの、自分自身の作った「執念」「想念」による層があって、そこから、霊波が出ているのです。その霊波によって、私共の実生活の中に、悪い現象や、好い現象が現れてくるわけです。
この悪い現象を、この世で自分自身が消滅(消してなくす)していくために、己があるのです。
きれいな分霊(己の中の神の心)の周囲の業や、自分の悪い想念を、消している自分になれれば、よいわけです。
それで、現在、良心的な人が、不幸な目にあっているのは、過去世の業や、自分の作った想念を消すために、現れている現象なのですから、馬鹿馬鹿しいと思わず、御心に副った生活をしていれば、必ず、消えていくものなのです。
又、日々に、神に祈っている人は、己の中の神性が、大国様の御神力により、早く引き出され、業や、想念は、祈る度毎に、消されていくのです。
悪玉が栄えているのは、この逆で、過去世の業がなく、善い念波層に、かこまれているからです。
しかし、現世に悪因縁を作っているのですから、過去世の霊波が出ている現象で終ることなく、必ず、自分の作った悪想念の現象が、又使われるわけです。
何事も気にならず、己の神性が輝き出して、与えられた、なりわいにベストをつくす生活、この様な心で日々を生活することが、自己の生命を生かした生活、真剣な生活と言われます。ここに奇魂が生きてきます。
先祖の因縁の悪い霊波も、自分の代で消させていただくために、今、試練の場が与えられている、又これまでの間に自分自らの作った、悪い想念も消させていただく、そう考えてくると、先祖へのぐちもなくなり現在の自分も、苦を苦と思わなくなります。
そして、神性が輝き出して、善い念波のみ出るようになり、苦になる現象も起きてこなくなり、感謝感謝の生活になる理です。
毎日、大国様に、祈ることによって、過去世の業も、想念も消していただき、心の根元である神の霊波と、神の子の分霊である、自分の心の霊波とが、交流しあった生活こそ、生命を生かした、生活であることを、お忘れにならないで下さい。
ただ、祈っている間の交流であってはいけません。
祈っている心をそのまま、一日一日持ち続けて、善い霊波を出してください。世の中が明るくなり、何も気にすることや、苦になることがなくなって、安心立命できます。


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