昭和44年11月8日 
第6号
祈り その二

先月号で、お祝詞の本文を説明いたしましたので、今月は神語「幸魂」「奇魂」についてお話いたします。
深い意味が含まれた言葉ですが、わかり易く平らかに申し上げますと、幸魂(さきみたま)は、人を幸福にならしめる活動のみたま、奇魂(くしみたま)は、「目に見えない不思議な力を発揮するみたま」「又ものごとをくしわけて、正しい信念を持つみたま」という意味であって、大国主大神の真の神たらしめた魂そのものであります。
人間には、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)だけでなく、その上に、幸魂と奇魂があります。
云いかえると、人生には、目に見える世界だけでなく、目に見えない世界の真理のあることを、大国様はご自分の体験をとおして、私達に教えられたのです。
ご自分の体験ということは、古事記にも記されています。国造りに懸命になって、荒ぶれたる国を平定していらした頃、最大の協力者であられた少彦名神が海を渡ってかくれ給いし時に、大変力を落とされて、「これからさき、私は一人でどうやって国を治めてゆくべきか」、となげかれた時、海の向こうから神光(あやしき光)が輝き、「今迄、荒ぶれた戦を平らげ、平和を築いてこれたのは、汝の力ではない。私がお前のうちにいたからこそ、国造りがなしとげ得たのだ」ときこえました。
大国様は、「その様な事を云われるあなたは、一体どなたですか」と問われると、神光が「私は、お前の幸魂、奇魂」だと答えました。
「あ・・・そうであったか、あなたが私の幸魂、奇魂であったことを、今まで気づかなかった事は、うかつでした。あなたを、どこにお祭りしたらよろしいでしょう」と問われました。
神光は、「私は、大和の国、三輪山でお祭りを受けたい」と申されました。そこで、三輪山に社殿を作ってお祭りをしたと、記されております。
今年、出雲詣での時、お詣りした大神神社のことです。これで「幸魂」「奇魂」の意味は、おわかりになりましたでしょう。
私たちにも、幸魂、奇魂があります。大国様の御魂を通して、私どもも幸魂、奇魂を大きく生かして、人生を歩みたいと、念じます。


最新はこちらから


バックナンバー一覧に戻る



Copyright (C) 2000-2004 IzumoShinyuKyoukai Org. All Rights Reserved.