昭和44年10月 
第5号
祈り その一

 祝詞

毎朝神前にお祈りしていらっしゃる皆さんは、祝詞をおよみになっていらっしゃるでしょう。
祝詞の意味は、日本語ですから、お経本のように、難しいことはないでしょうが、改めて、更にくわしく解説させて頂きます。
まず、大国主大神の御前にかしこみかしこみながら、日々の御加護を感謝申し上げます。
「天の下、国という国、人という人のことごとく、有とあるもの皆、やすく」と世界の平和を祈願いたします。次に、我が家の平和安泰を祈り、「授け給へる魂はけがさじ」と、神の御心に副う生活をすることを、お誓い申し上げます。
又、「授け給へるなりわいは怠らじ」というのは、職業を持つ人は、それぞれの職場において、主婦は主婦というなりわい、学生は勉強するというなりわい、その立場において、「人事にベストをつくさせて下さい」と祈り、すべて感謝の気持ちから幸になるように病気にもかからず、煩わしいこともなく、子孫が栄えていきますようにと、申し上げます。という意味です。

祈り
この祝詞を奏上することは、神に奏上しながら、又、自分にもいいきかせ、誓いつつ、自己規制をしているわけです。
ですから、一語一語声に出して、ゆっくり読み上げて、心からの祈りにならなければいけません。
祝詞にすべての感謝と願望は、ことごとくいいつくしてあります。ですから読み終わったあとは、改めて、こうこうして下さい。病気をなおして下さい、金持にして下さいという具体的な願望は、云う必要はない筈です。
全知全能であらせられる神は、すべてをご承知です。すべて、おみとおしです。無心に、赤ん坊のように素直に、感謝すればいいのです。
夜は、一日を反省して、気の親である神に対して、気がとがめる、気になることを云ったりしてしまったことがあったら、即座にざんげすることです。
ざんげすることが何もなかった日は、一日無事平和で過ごせたことを心から感謝申し上げることです。
祈りは、一方通行です。祈りながら、御利益を下さいという、反対給付を求めようとするさもしい気をもっては駄目です。
苦しみも、悲しみも、すべて神の試練と受け止めて、一歩、神に近づこうと努力しているさまは、神はすべておみとおしです。
人をあざむくことはできても、神をごまかすことは、できません。どんな小さなかくし事でも、かくすことはできません。
私達、人間の心からの感謝の霊波と、心からのざんげの霊波が神からの霊波(みたまのふゆ)と通じあって、神の無限大の霊波によって、私達のみたまも大きく、清くなり、一歩一歩みたまの親に近づいて行けるわけです。
又、ざんげすることによって、罪が消されて行くのです。
朝と夕に限らず、感謝の気持ちを表したい時は祈り、気になること、煩わしいことがあれば祈ります。
わかり易く言いかえると、すべての苦を、大国様の袋の中に背負っていただいて、人事にベストをつくした上は、神のおはからいにおまかせするのです。
おまかせするということは、「やるだけやったから、あとはなる様になるさ」というのでは、神に対して傲慢です。又、「毎日おがんでいるから、いい様にしてくれるだろう」という御利益頂戴の祈りでは、駄目です。
神の御心にそった生活実践、悔いない生活のあとに、おまかせするのです。「御心のままになさしの給え」という、けんきょなおまかせでなければなりません。



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