昭和44年8月1日
第3号
争うなかれ

大国様の三つの戒めの最後は、「争うなかれ」とあります。和の調和を仰ぐ神の御心は、感情に激した争いを喜ばれるはづがありません。
人間も、自分の「我」を通し、言い争って、言い負かしても、又暴力をふるって相手を屈服せしめても、決して気持ち(心)のよいものではありません。
争って勝った者も気持ちのよいものでなく、負けた者は更に復讐の恨みの念波を生じます。
それは気(心)の親である、神の御心にそぐわないことをしているからです。かといって、真実でないこと、間違っていることに無抵抗に従うということではありません。
黒いものを白といわれても「争うなかれ」と我慢することではありません。我慢は限度があって、いつかは爆発するものです。
又、無実でないこと、間違ったことに従って生活していくことは、自分の気がとがめます。それも神の御心に反しているからです。
それでは、どうしたらよいでしょう。それは、日常生活の中に例をあげれば、親と子が、夫婦が、隣人が感情に走って、"怒"の念波を出しながら向かってきたときは、相手の心を観ることです。
相手の心が、神の御心に反した言動をしていては、「神に裁かれてしまう、お気の毒に、可哀想に」とあわれみを持ち、相手の怒りの念波に対して、相手の波長を消していく努力をしてから、静かに、自分の主張を理解してもらうことです。
最初に、愛の念波を強く出さないで「智」だけで自分の主張を通そうとすると、相手の怒りの霊波に負けて、自分の霊波も、怒りの霊波に同調してしまい、争いが起こることは必定です。
神の「分霊」を頂いた同じ分霊を持っている人間です。強い「愛」の波長を送ることによって、主張を理解させることです。
愛の霊波が起きると、話す言葉に音霊になってあらわれます。私たちは、朝に夕に、大国様を拝するたびに、素晴らしい「愛」の霊波を、自分の霊が感受しているのです。
常日頃から「愛」を蓄積しておかなければ「愛」の霊波は、即座には起きません。仮に、神から送られる素晴らしい霊波を「白」として、怒り、そしり、憎しみ、その他神の御心にあわない霊波を「黒」としますと、日々の行として、お拝りする毎に、神から白い「無限大の愛」の波長を感受して、自己の霊が黒かったら白にしていくこと、即ち、無限大の愛に向かって、感応しつつ蓄積することです。
そういう方からは、素晴らしい「愛」の霊波が、いついかなる時でも起きますから、相手からくる、黒い霊波を消してしまうことができるわけです。
これは、対人だけでなく、印象深い亡くなられた佛の霊の中に、黒い霊波が送られてくる時も同じです。白い波長を送って祈ることが、黒い波長の佛の霊が白い波長に浄化されます。
それが、ご供養が通って、御成仏なされることだと、私は、信じております。御寺護神の波長を、全身全霊で受けて、争うことのない「和魂」を常に持続してゆける様に、一人一人の日々の行を通しての「愛」の蓄積が、家族の平和になり、世界の平和につながってゆくことだと思います。
「智」だけの、批判だけの能力が発達して、「愛」の波長が少なくなっている現在の世情ですから、みにくい争いがつづいています。
神に裁かれる日が近づいてきます。「云うは易し、行なうは難し」でなかなか大変なことですから、自分に怒りの念波がおきた時、即ち黒くなった時は、すぐ、神前に向かうくせをつけるとよろしいと思います。
日に何度でもおきたら、何度でも神前に向かって、白い波長を、感受することです。
争う心が浄化されて、消えていきます。本当にありがたいことだと感謝します。
どうぞ、皆さん、常に、神を仰ぎ、神の霊波と波長を合わせて、共に日々の行を積み重ねてまいりましょう。


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